金沢の人間は、市場が好きだ。観光客が訪れるずっと前から、この街の人たちは近江町市場で一日をはじめてきた。魚屋の大将が声を張り、野菜を積み上げる八百屋、対面で値段交渉をするなじみの主婦——その喧騒の中に、金沢という街の「体温」がある。
観光ガイドに載っている近江町市場と、地元の人間が知っている近江町市場は、すこし違う。このページでは、朝6時から始まる「金沢の日常」を、市場の中から見ていきたい。
朝6時、観光客より先に市場は動いている
夜明けとともに、近江町市場はすでに動いている。金沢港や橋立漁港から届く魚介類が次々と運び込まれ、仕出し屋や料亭の料理人たちが目利きをしながら食材を選ぶ。声をかけ合う大将たち、手早く荷を捌く仲買人——ここにあるのは、観光の場ではなく、生きた流通の現場だ。
朝7時を過ぎると、常連の主婦たちが現れる。「今日のアジはどうだい」「ズワイはまだある?」。店の人間との会話は簡潔で、信頼に満ちている。彼女たちにとって近江町は、スーパーではなく「かかりつけの市場」だ。
朝市のタイムライン
6:00〜 仲買・料理人が仕入れ開始 / 7:00〜 地元主婦・常連が買い物 / 8:00〜 一般客・観光客が増え始める / 10:00〜 観光客のピーク。ランチ狙いなら早めに来るのが正解。
能登・加賀の恵みが毎朝集まる場所
石川県は日本海に面し、能登半島を北に伸ばす独特の地形を持つ。その分、海からの恵みは豊かだ。カニ、甘エビ、ノドグロ、ブリ——どれも全国屈指の産地として知られる食材が、漁港から直接この市場に届く。
2024年1月の能登半島地震後も、市場は止まらなかった。漁師も漁港も被害を受けたが、少しずつ水揚げが再開され、2026年の今は多くの能登産魚介が戻ってきている。「地震の前と同じ量ではないけど、漁師たちが頑張って届けてくれている」と、ある魚屋の主人は言う。
| 食材 | 主な産地 | 旬の時期 |
|---|---|---|
| ズワイガニ(加能ガニ) | 加賀・橋立漁港ほか | 11月〜3月 |
| ノドグロ(アカムツ) | 能登半島沖 | 通年(夏が特においしい) |
| 甘エビ | 富山湾・石川沖 | 通年 |
| ブリ(寒ブリ) | 能登沖 | 12月〜2月 |
| 加賀野菜(れんこん・五郎島金時など) | 金沢近郊 | 秋〜冬 |
「市場飯」という金沢文化
近江町市場の一角には、朝から営業する食堂や立ち食いの店が並んでいる。新鮮な魚介を使った海鮮丼、のどぐろの炙り、甘エビをたっぷり乗せた丼——これらは「市場飯」として金沢市民にも観光客にも愛されてきた。
注目したいのは、単なる観光向けではないという点だ。地元の人間も普通に食べる価格帯で、地元の食材が出てくる。ランチの時間帯は行列になることも多いが、開店直後の早い時間なら待たずに食べられることが多い。
市場飯のポイント
開店直後(11時前後)が狙い目。人気店は12時には行列になる。海鮮丼は1,500〜2,500円が相場。現金払いのみの店も多いので注意。
市場で働く人たちの言葉
近江町市場には、3代・4代と続く老舗の魚屋や干物屋がある。彼らに共通するのは、「市場は暮らしの延長」という感覚だ。
「観光地になったのは事実だけど、地元の人が毎日来てくれることが一番大事」と話すのは、40年以上店を続けるある鮮魚店の主人。「金沢の人間は目が肥えてる。手を抜いたら一発でわかる」。その言葉は、誇りとプレッシャーの両方をはらんでいた。
最近では若い世代が後継ぎとして店に入るケースも増えているという。「うちの息子は金沢でも修業したけど、能登の漁港にも行ってる。産地を知ることが大事だと思って」。市場が次の世代に引き継がれる様子が、そこにはあった。
四季で変わる近江町市場の顔
市場は季節によってまったく表情が変わる。冬はカニとブリで活気に満ち、春になると白エビや桜鯛が並ぶ。夏は岩ガキ、のどぐろ、天然の甘エビが並び、秋になると加賀野菜——五郎島金時や打木赤皮甘栗かぼちゃ——が色鮮やかに積み上がる。
- 春(3〜5月):白エビ、桜鯛、ホタルイカ、加賀れんこん
- 夏(6〜8月):岩ガキ、のどぐろ、天然甘エビ、なす
- 秋(9〜11月):加賀野菜各種、松茸、アオリイカ
- 冬(12〜2月):加能ガニ、寒ブリ、牡蠣、五郎島金時
地元の人に「近江町はいつが一番いい?」と聞くと、答えはそれぞれだ。カニ好きは冬と言い、夏の岩ガキが目当ての人は夏と言う。季節ごとに来る価値のある場所が、近江町市場だ。
地震後の近江町市場、そして能登
2024年1月の能登半島地震は、石川県全体に深刻な打撃を与えた。近江町市場は金沢市内にあり直接の被害は限定的だったが、能登からの仕入れルートが途絶え、一時は品薄になった食材もある。
その後、能登の漁師たちが少しずつ漁を再開し、2025年後半から2026年にかけて、多くの産地が復活しつつある。「また能登のものが並ぶようになって、ほっとした」という市場の人の言葉が印象的だった。近江町市場で食材を買うことは、今、能登の復興を応援することにもつながっている。
能登産食材を選ぶことが支援になる
「能登産」「石川産」の表示を見かけたら、積極的に選んでみてほしい。漁師・農家・生産者への直接的なサポートになる。市場のスタッフに「能登のものはありますか?」と聞くと、丁寧に教えてくれる店が多い。
近江町市場を楽しむために
はじめて近江町市場を訪れるなら、いくつかのポイントを知っておくと楽しみが広がる。
- 朝8時台が混雑が少なく、品揃えも豊富。早起きして訪れる価値がある
- 値段交渉は基本しない。定価が適正価格の場合がほとんど
- 買った魚介をその場でさばいてもらえる店もある(要相談)
- 現金払いのみの店も多い。小銭を用意しておくと便利
- 地下1階〜地上2階まであり、干物や乾物・お土産系は1階・2階に多い
- お土産用の加工品(干物・珍味・かに味噌など)は比較的安定した価格
