輪島塗に魅せられて、移住した人たちがいる。金沢から、東京から、なかには海外から——それぞれの事情で能登・輪島という地に辿り着き、漆という素材と向き合いながら暮らしている。2024年の地震で多くが被災しながらも、「それでも輪島を離れない」という人たちがいる。
輪島塗とは何か。そしてその工芸に惹かれた人たちは、輪島で何を見つけたのか。移住者たちの言葉を通じて、この工芸と土地の魅力を探っていきたい。
輪島塗とはなにか——400年の積み重ね
輪島塗は、石川県輪島市を中心に400年以上の歴史を持つ漆器だ。国の重要無形文化財にも指定されており、丈夫さと美しさが両立した工芸品として世界的に知られる。
輪島塗の特徴は、その製造工程の複雑さにある。木地作り・布着せ・下地・中塗り・上塗り——工程は100を超えるとも言われ、すべてが職人の手によって行われる。特に輪島産のケイソウ土(地の粉)を使った下地が、他産地にはない強度と漆の発色を生む秘密だ。
| 工程 | 内容 |
|---|---|
| 木地 | ヒノキや欅などを轆轤で削り出す、または寄木細工で形を作る |
| 布着せ | 節や継ぎ目に麻布を貼り、強度を確保する |
| 下地 | 輪島特産の地の粉(ケイソウ土)を漆に混ぜて塗り重ねる(数十層) |
| 中塗り・上塗り | 生漆を何度も重ね、ムラなく平滑に仕上げる |
| 加飾 | 沈金・蒔絵などの技法で文様を描く |
「一生使える」が輪島塗の強み
輪島塗は修理ができる漆器として知られる。欠けたり傷ついたりしても、職人に修繕を依頼することで何度でも使い続けられる。「壊れたら終わり」ではなく「使い続けるほど育つ」工芸品だ。
移住者たちが語る「輪島との出会い」
輪島に移住して漆の世界に入った人たちは、それぞれ違う入り口を持っている。修業のために来た人、偶然訪れて衝動的に残ることを決めた人、伝統工芸の保存に使命感を感じて来た人——動機はさまざまだ。
30代で東京のIT企業を辞めて輪島に来たある移住者は言う。「展覧会で輪島塗の盃を手に取ったとき、なんかわからないけど、この物を作る場所に行きたいと思った。理由は後からついてきた」。彼は今、下地師として修業中だ。
「職人になる」と決めてから実際に一人前になるまで、最低でも10年はかかると言われる。それでも来る人がいる。「手で物を作る、ということの充実感が、デスクワークとは全然違う」と話す移住者は多い。
震災と、それでも残る理由
2024年1月の地震で、輪島市は甚大な被害を受けた。多くの職人の工房が損傷し、道具が失われ、家が崩れた。移住してきた人たちも例外ではなかった。
「正直、もう出るかと考えた」と話すある移住者。「でも、地元の職人たちが残って再建しようとしているのを見て、自分が出るのは違うと思った」。輪島に根を張って生きている人たちの姿が、踏みとどまる理由になった。
2024年後半から2025年にかけて、輪島の漆器産業は少しずつ動き出した。損傷した工房の修繕、各地への出張展示・販売、オンラインでの受注——手段を変えながら、輪島塗の制作と販売が続けられている。
輪島塗の復興と支援の現状
輪島塗の職人への支援として、作品購入が最も直接的な形になる。各地で行われる輪島塗の展示会・物産展での購入が職人の生活再建につながる。オンラインショップを持つ工房も増えている。
移住者が感じる輪島という場所
輪島に移住して感じること——移住者たちが共通して言うのは「人が温かい」ということだ。もともと外からの人間を受け入れる文化があり、若い移住者が職人として工房に入ることを歓迎する雰囲気がある。
「金沢や東京だと「よそ者」として見られることが多いけど、輪島では結構すぐに馴染めた」という移住者の声がある。小さな町だからこそ、顔が見える関係の中に溶け込みやすいのかもしれない。
- 輪島塗の後継者育成のため、移住者・若手の受け入れに積極的な工房が多い
- 輪島市が移住支援制度を整備(住居・就業の支援あり)
- 職人修業は無給または低賃金の期間が長いため、生活設計が重要
- 地震後も残った移住者の多くは、輪島の「人」に理由を見出している
輪島塗に触れる旅
旅行者として輪島を訪れる場合、輪島塗に直接触れる機会はいくつかある。工房見学、体験工房、ギャラリー——それぞれに違う楽しみ方がある。
輪島市街の「輪島朝市」周辺には漆器を扱う店が並び、実際に手に取りながら選ぶことができる。体験工房では沈金や蒔絵の一部を体験できるプログラムもある(事前予約が必要な場合が多い)。
輪島塗を手に取る前に知っておくこと
本物の輪島塗は「木製・漆塗り・輪島産地の粉使用」が条件。価格は数千円〜数十万円と幅広い。毎日使う椀や箸から始めるのがおすすめ。手に取ったときの重みと、光の当たり方の美しさが本物の証。
