西山石切り場跡
滝ヶ原石を見分ける
苔の里を出て、県道を南へ。滝ヶ原町(たきがはらまち)に入ると道は急に狭くなり、対向車が来たらどちらかが下がるしかない幅になる。その道の先、木々の切れ目に、崖を四角くくり抜いた穴が並んでいるのが見えた。西山石切り場跡。小松市の日本遺産「珠玉と歩む物語」の構成文化財の一つで、9月7日の17時すぎ、雨上がりの薄暗い時間に着いた。
- 1814採掘のはじまり
- 3丁場の数
- 5基現存の石橋
- 1950西山橋の拡幅
ここで掘られていたのが「滝ヶ原石」だ。金沢城や小松城の石垣に使われ、北前船で運ばれ、集落の中では石橋や灯籠や石蔵になった。この記事では、案内板で読めたことと、崖の外から見えたこと、それから同じ石でできた橋と灯籠を見に行った話を書く。石の見分け方についても、分かった範囲で。

1814年、3番目に始まった丁場
石切り場の手前に、日本遺産の白い案内板がある。
1814年ごろから採掘が開始されたといわれる滝ヶ原で、3番目に始まったとされる。周囲に3つの丁場があった。最盛期を支えた石切り場の一つ。
案内板の隣には「崩落のため 立入禁止」の看板と、進入禁止のマーク。ワイヤーが張られ、その内側には入れない。里山自然学校こまつ滝ヶ原の資料によると、滝ヶ原では滝谷口大滝丁場、西山丁場、本山丁場の3か所の石切り場が確認されていて、西山はその3番目。いまは稼働していない。


崖の穴は、外から見るだけでも構造が分かる。天井を支える柱を残して、その間を四角く掘り進めている。柱の側面は平らで、手で切ったとは思えないほどまっすぐだ。穴の奥は暗くて見えない。柱と天井の境に草と蔦が下がっていて、掘るのをやめてからの年月を感じる。


滝ヶ原石とは何か
里山自然学校こまつ滝ヶ原のサイトによると、滝ヶ原石は緑色凝灰岩で、「美しい青白い色調」を持ち、「水に強く耐久性があり」「きめが細かく良質」とある。用途は小松城や金沢城の石垣、鳥居、灯籠、墓石、石蔵。北前船で近畿地方や北海道方面へ運ばれた。
この「切れる」「水に強い」「青白い」の3つが、滝ヶ原の風景を作っている。切れるから四角い丁場になり、水に強いから橋になり、青白いから遠目でも分かる。
石そのものを近くで見たのは、丁場ではなく道路脇だった。石切り場へ向かう細い道の縁に、割れた石の破片が転がっている。色は灰色がかった白で、乾いているところは白く、濡れているところは青みがかって見えた。割れ口は粒が細かく、ざらつきが少ない。案内板が言う「きめが細かい」というのはこのことだと思う。

ただし、ここは日本遺産の構成文化財で、周辺は私有地も多い。石は見るもので、持ち帰るものではない。「拾える石」という言い方をしたくなるが、この記事では「見分けられる石」と書いておく。見分けるための手がかりは次の3つ。
- 色:乾くと灰白色、濡れると青緑がかる。赤茶色ならそれは別の石(十二ヶ滝の河床は赤茶色だった)
- 割れ口:粒が細かく、面がなめらか。ゴツゴツした結晶は見えない
- 重さ:同じ大きさの川の石より軽く感じる(凝灰岩は火山灰が固まった石で、密度が低い)
3つ目は一般的な凝灰岩の性質から書いたもので、滝ヶ原石の実測値ではない。石に詳しい人が読んだら「もっと確かな見分け方」があるはずで、その情報は追記したい。
石橋を見に行く
石切り場から少し戻ると、川沿いに「西山橋(アーチ型石橋)」の案内板がある。
切石の運搬のため、1900年代初頭に構築されたとされる。自動車の普及と共に1950年に拡幅された。上流側には、滝ヶ原アーチ型の特徴である貫石が残っている。

案内板を読んで、橋の上流側をのぞき込んだ。草に覆われてはっきりとは見えないが、アーチの脇から石が飛び出しているのが「貫石(ぬきいし)」だ。里山自然学校の資料では、滝ヶ原町の石工が京都で技術を学んで持ち帰り、明治後期から昭和初期にかけてアーチ型の石橋を架けた。かつては11基、いまは5基が現存する(日本遺産ポータルの記載では「12橋が築造され、現存6橋」で、資料によって数が1つ違う。どちらが正しいかは現地で数え直したい)。一つの地域にこれだけの数のアーチ型石橋が架けられたのは滝ヶ原町だけだという。
面白いのは、この橋が「切石の運搬のため」に架けられたということだ。石を運ぶために、石で橋を架けた。丁場から切り出した石を、石の橋を渡して町へ出す。西山橋は、石切り場の一部だったと言っていい。


もう1本、「がやま橋」の標柱も見つけた。小松市指定文化財。こちらは草が深く、橋そのものは近づけなかった。標柱の隣に「スタンプラリー②」の箱があり、石橋をめぐるスタンプラリーが組まれているらしい。①と③がどこかは、この日は分からなかった。


石工の名前が書いてある灯籠
西山橋のたもとに、灯籠が一基立っている。脇の白い札に、こう書いてある。
善導寺灯籠
石工 辻 久作
寄贈 辻 外代子
産地名 滝ヶ原本山石


「産地名 滝ヶ原本山石」とある。本山は3つの丁場のうちの一つで、西山とは別の丁場だ。つまりこの灯籠は、目の前の西山石切り場ではなく、本山から出た石で作られている。同じ滝ヶ原石でも、丁場によって名前が分かれている。石に詳しい人なら、色や目の細かさで丁場まで見分けるのかもしれない。
石工の名前が札に残っているのも、この町らしい。石を切る人、石を組む人、石を寄贈する人が、同じ集落の中にいた。
小松の「石の文化」の中で見ると
西山石切り場跡は、単独の遺跡ではなく、日本遺産「『珠玉と歩む物語』小松 〜時の流れの中で磨き上げた石の文化〜」の一部として指定されている。文化庁のポータルにあるストーリーを、石切り場の位置づけが分かる範囲で書き出す。
- 2300年前:弥生時代、小松の八日市地方で碧玉(へきぎょく)を使った玉つくりが始まる。石の文化の起点
- 那谷寺:開創1300年。碧玉層が露出した岩山に建つ。西山石切り場から車で10分
- 小松城:前田利常が江戸初期に改修。本丸櫓台の石垣は「切込み接ぎ」の技法。ここに滝ヶ原石が使われた
- 滝ヶ原石:水に強く青白い。明治から昭和初期にアーチ型石橋を架けた。この記事の主役
- 観音下石(かながそいし):黄色で湿気に強い。滝ヶ原石とは別の丁場、別の色
- 九谷焼:江戸後期に花坂で陶石が見つかり、それが九谷焼の素地になった
- 尾小屋・遊泉寺の鉱山:江戸後期から金・銅を採掘。大正期には全国有数の銅の産出量
- 石蔵:昭和初期の大火で耐火性を実証し、町家に多く残った
つまり小松では、宝石(碧玉)、石垣(滝ヶ原石)、焼き物(陶石)、金属(鉱山)が、同じ「石を掘る」文化の枝として並んでいる。十二ヶ滝の案内板に出てきた尾小屋鉱山も、この物語の中では石切り場の親戚だ。1日で滝、苔、石切り場と回ってきて、最後にこの一覧を読むと、小松の山あいが「掘る町」だったことがつながって見える。
観音下石が黄色、滝ヶ原石が青白い、という対比は、石を見分けるときの手がかりにもなる。小松の町で石蔵や石垣を見たとき、黄色なら観音下、青白ければ滝ヶ原、と当たりをつけられる。
川と、パイプから落ちる水
西山橋の下を流れる川は、水が澄んでいて、川底の岩がよく見える。橋のたもとの岸から、パイプが1本突き出していて、そこから水が川に落ちていた。用水か、湧き水の導水か、現地に説明は無い。ただ、水量は多く、9月でも枯れていない。石切り場のある山が、それだけ水を持っているということだと思う。


移動のメモ
今回の3か所(十二ヶ滝、苔の里、西山石切り場跡)の最後がここ。距離と所要は次のとおり(距離と目安は道路データからの算出、実測は写真の撮影時刻から逆算)。
-
苔の里→西山石切り場跡約8km距離約10分目安約13分この日の実測
-
西山石切り場跡→那谷寺約3km距離約10分目安—この日の実測
-
西山石切り場跡→粟津温泉約5km距離約10分目安—この日の実測
-
西山石切り場跡→小松駅約14km距離約15分目安—この日の実測
滝ヶ原町の中の道は、写真のとおり車1台分。フロントガラス越しに見ると、両側の草が車の幅ぎりぎりまで迫っている。大きい車では入らないほうがいい。軽自動車か、コンパクトカーが向いている。すれ違いは待避所で。


那谷寺までは3kmしかない。那谷寺の奇岩遊仙境も凝灰岩の崖で、滝ヶ原と同じ「石の文化圏」にある。石切り場を見てから那谷寺へ行くと、あの奇岩が「掘られていない石切り場」に見えてくる。逆の順番でもいい。粟津温泉に泊まるなら、翌朝に苔の里、その足で石切り場、那谷寺、というのが一本の線になる。
帰りの車で考えたこと
石切り場を出て車に戻り、細い道を引き返しながら考えたのは、こんなに行きづらいところに、こんな景色があるのか、ということだった。崖に並ぶ四角い穴は、絶景と言っていい。しかも綺麗だ。石の知識は無いに等しいが、それでも十分に楽しかった。
もう一つは車のこと。ここは車がないと来られない。そして大きい車だと厳しい。軽自動車でも道幅はぎりぎりで、転回にも気を使った。大きい車で来たら途中で詰まる気がする。
石川の石の歴史を感じられる場所で、滝ヶ原にはほかにも丁場がある。案内板にあった滝谷口大滝丁場と本山丁場は、別の機会に見に行って、この記事に足したい。
行くなら
- 場所石川県小松市滝ヶ原町
- 見学丁場は崩落のため立入禁止。柵の外から。西山橋・がやま橋は道路から
- 料金無料
- 駐車場専用の駐車場は確認できなかった(要確認)。道幅が狭いので路肩に長く停めない
- 車車がないと行けない。集落内の道は軽自動車でも道幅・転回がぎりぎりで、大きい車は避けたほうがいい(取材時の所感)
- ガイド里山自然学校こまつ滝ヶ原が「石切場と石橋見学60分コース」を案内している(要事前確認)
- 守ること立入禁止の内側に入らない。石を持ち帰らない。集落の中は私有地が多い
ここへの経路↗Googleマップで開く↗西山石切り場跡(案内板の前)
出典:現地の案内板「西山石切り場跡」「西山橋(アーチ型石橋)」(日本遺産魅力発信推進事業)、善導寺灯籠の札、里山自然学校こまつ滝ヶ原「小松の石文化」、文化庁 日本遺産ポータル「滝ヶ原石切り場」。石の見分け方の3点目は一般的な凝灰岩の性質で、滝ヶ原石の実測ではありません。
取材日:2026年9月7日
SERIES / 小松の山あいを一日で
- 01十二ヶ滝は、なぜ十二筋なのか
- 02 ── 近日公開苔の里で、10種の苔を見分ける
- 03 ── この記事西山石切り場跡で、滝ヶ原石を見分ける
